還らずの森

〜第二章・19〜



「そろそろ話してよね」
 もうすぐ家の前だ、という時になって、今まで無言だった美凪が突然振
り向き、そう言った。
「何をだよ」
「とぼけるなよ。園長さんと何を話してたんだよ」
「………」
 意外と言ったら怒るだろうが、なかなか鋭い奴だ。




 あの後、僕と美凪は宮沢の部屋にお邪魔をしていた。
 だが、しばらくしてルームメイトの舞という中学生が下校してきたので、
今日はここで帰ることにしたのだ。
 宮沢は、まだ何か話したそうであったが、明日学校でという美凪の言葉
に頷き、お開きとなった。
「あたしだって手伝ってるんだからね。内緒は許さないんだから」
「……別に内緒って訳じゃないんだけど…」
 僕は、そう言い訳をしてから、宮沢が子供の頃一緒に遊んでいた少年の
名前が「まもる」だったことと、宮沢が、そのことを覚えていない理由を簡単
に話した。
 美凪は、それを黙って何度も頷きながら聞いていたが、僕が話し終える
と、雲の多い茜の空を見上げた。
「…そっかあ〜。なるほどね」
「もしかすると、あの茂木って人は、本当に婚約者なのかもな」
「う〜〜ん」
「美凪?」
 普段の幼馴染なら、そうその通りだと食いついてきそうなのだが、何故
か腕を組んで、いつになく真面目な表情で、僕を見据えた。
「どうしたんだよ?」
「なんか…そんな関係には見えなかったかも」
「あの二人は、幼馴染じゃないってことか?」
「そう」
「どうして」
「カン」
「……ほら帰るぞ」
 普段と様子の違う美凪に、一瞬だけでも期待した僕が悪かった。
 ため息交じりに呟いて、さっと背を向けた僕に、美凪の慌てたような声が
追いかけてきた。
「いや、カンだけどさ! でもマジなんだってば! 絶対普通じゃないよ」
「お前…普通じゃないって、なんなんだよ」
「だって、幼馴染って例えば、あたしと秋緒みたいな関係じゃん? だけど
あの二人からは、そんな風に見えなかったんだよ」
「……幼馴染っていっても、色んな関係があるだろ?」
「でも結婚の約束してたなら、あたし達より、もっと仲良かったって事じゃな
いか」
「………」
 僕は、足を止めて美凪を振り返る。
 話を聞く体勢のの僕を見て、美凪の言葉は更に熱を帯びる。
「そうでしょ? そりゃ大変なことがあって、宮沢の記憶が曖昧になるのは
わかるよ。でも顔どころか、名前まで忘れちゃえるものかな? それに、あ
の茂木さんも、幼馴染なら、あの事件の事わかってる筈なのに、そんな事
お構いなしってかんじでさ…」
 一気に話して、息が切れたのか、美凪は一呼吸おく。
「……だからさ。うまく言えないけど、仲の良かった幼馴染って風に見えな
かったんだよ」
「…そうか…」
 美凪の言うことも、一理ある。
 違和感というか、不自然というか。
 突然、僕らの前に現れた茂木衛という男を、僕は完全に信用できないで
いたからだろうか。
「秋緒も、そう思う?」
「なあ。あの人、何でうちの事務所に来たんだと思う?」
「え? なに?」
 質問に答えず、反対に質問してきた僕に、美凪は戸惑った顔を見せた。
「いや。何でもない。じゃあ明日」
「あ、秋緒」
 美凪が住むアパートの近くまで来ていた。後ろから、何か怒ったような幼
馴染の声が聞こえてはいたが、それを無視して僕は歩きだした。


―――今日は色々わかったし。


 事務所を去る時、あの人は、そう言っていなかったか?
 あの時は、その意味はわからなかったが、それは………。
 僕は、軽く頭を振った。
 今日は、色々なことがあり過ぎて、整理をしなければ、どこから考えてい
いのかも、わからなかった。












 重い鉄の扉が、ゆっくりと開く。
 一人の、中年の男が、のっそりとした様子で顔を出す。
 扉を開けてくれた男と、二、三事交わすと、軽く一礼して背を向ける。
 後ろで、その扉が、またゆっくりと閉まる。
 その音を聞いてから、男はのんびりと空を見上げる。
「………」
 眩しかったのだろう。
 男は、被っていた黒い帽子を深く被り直し、小さな黒いバッグと紙袋を、
大事そうに胸のあたりで抱えた。
「…長かった」
 男は呟く。
「本当に長かった」
 消え入りそうな、低い声だ。
「ユ、キ…」
 最後の言葉は、小さすぎて誰にも聞こえなかっただろう。いや、誰に聞
かせるつもりもなかったのだろう。
 男は、ゆっくりと歩き出す。
 そして、扉の方には一度も振り返らずに、そのまま雑踏の中へと消えて
いった。





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