還らずの森

〜第二章・13〜



 ようやく身なりを整えて、事務所に顔を出すと案の定、美凪がつっかかっ
てきた。
「おっそーい!」
「ごめん」
 のんびりとして、時間に遅れたのは僕だ。素直に謝って、ソファに座って
いた宮沢に軽く会釈をすると、気まずそうに目を逸らして、小さな声で返事
をしてくれた。
「よし。じゃあ行こうか」
「うん」
 時計は十時半過ぎだった。
 予定より遅れてしまったが――僕のせいだが――まだまだ時間はたっぷ
りある。
 美凪と宮沢が二人並んで、僕の前を歩いて行く。
 僕はその二人から、やや離れて歩いていた。駅までの道のりは、普段は
もっと人通りがある。今日は土曜日だから、もっと混んでいそうだが、意外
にそうでもなかった。
 知り合いらしい知り合いにも出会わず、僕達は駅前についた。
「時間は……あ、よかった。あと五分でくるよ」
 バス停の時刻表を見ていた美凪が、嬉しそうに声をあげて、僕を手招き
した。



 僕らは、ここからバスに乗って、宮沢が住む施設から、学校までの道のり
を辿ってみるつもりだった。
 例の姿が見えないストーカーは、どういう場所から来て、どんな場所から
物を落下させたり、どんな所に潜んでいるのか。
 ストーカーの姿が追えなくても、危険な場所や、身を潜められる場所など
を調べて、予め知っていれば、多少は被害から身を守れるかもしれない。
 僕はそう考え、美凪と共に宮沢を呼び出したのだ。
 バスはすぐにやってきた。
 乗り込んで、しばらくするとバスは発車した。僕は一番後ろの席に座って
バスの乗客を確認した。
 乗っているのは僕と、美凪に宮沢。そして小さな子供を二人連れた母親
らしき女性。そして年配の二人組の女性。最後は太めの中年の男だった。
(どうも、怪しいとか思っちゃうな)
 僕は心の中で、自分に苦笑する。
 前方の席に座って、携帯をいじっている中年の男にばかり注目している
自分に気付いたからだ。
 ストーカーは、男とは限らないだろう。
 犯人像さえ掴めていないのに。
 やはりというか、その中年の男は、次の停車で降りてしまった。窓の内側
から、降りた男をそっと見たが、こちらには全く興味を示さず、さっさと歩き
出していった。
 僕は声には出さずに、ため息をつく。
 バスに乗っただけでこの調子では、これから施設から付近の探索、駅の
ホームの探索をするのに、身が持つだろうか。
「秋緒! 降りるってば!」
「え? ああ」
 美凪に声をかけられて、僕は慌てて立ち上がった。
 いつのまにか、目的の停留所に着いていた。



「あっちだったよね」
「うん」
 一度、この辺りまで来た事のある美凪が、先頭きって歩き出した。
 なるほど。聞いた通り静かな場所だった。
 休日にもかかわらず、人通りがあまりない。ここまでは、公園も見当たら
ず、誰かが潜めるような場所はなかった。
「あそこだよね」
「……うん」
 美凪がその建物を指差すと、宮沢の顔色が変わった。
 十階建てのマンションだった。
 まだ新しいのだろう。きれいなマンションだ。
「秋緒。ここが例のマンションだよ」
「そうか…」
 以前、このマンションの前で、美凪と宮沢が歩いていると、上から植木鉢
が落下してきたのだ。
 僕はマンションを見上げた。
 ベランダが並んでいるが、真下からでは人がいるか、いないかわからな
い。だが半分くらいのベランダには洗濯物が干してあるが、人が下を覗い
ているようには見えなかった。
「このマンションに入ってみようか」
「ええ? 無理じゃない?」
 僕の言葉に、美凪がそう反論した。
「最近のマンションってね。セールスとか不審者とか入れないようになって
て、住人とその知り合い位しか入れないんだよ?」
「そうなのか…?」
 セキュリティが、しっかりしてるとは思っていたが、そこまでとは知らなかっ
た。当然だが、このマンションに住んでいる知り合いなどいない。これでは
中に入って調べる事などできそうにもなかった。
「でもまあ、とりあえず行ってみるだけ行ってみよう」
「うん…」
 少し不安げな美凪と宮沢を連れて、マンションの入口に向かおうとした時
だった。
「危ないっ!」
 僕を突き飛ばして、走りこんできた人物がいた。
 その人物に突き飛ばされた僕は、少しよろめいて、その場に尻餅をつい
てしまった。それとほとんど同時だろうか。目の前で、何かが砕け散った。
「大丈夫? 宮沢っ!」
 幼馴染は、尻餅をついた僕ではなく、クラスメイトの名を呼んで、走り寄っ
てきた。
「うん。だ、大丈夫……」
 か細い声がして、僕はその方向を見た。
 背の高い男が、宮沢を抱えるようにして座っていた。男の腕の中で、宮沢
は真っ青であったが、怪我はしていないようだった。
「すいません…あの、もう大丈夫です」
「そう?」
 まだ宮沢を抱きかかえたままの男は、宮沢が離して欲しいと言いたい事
がわかったのだろう。そっと離れてゆっくり立ち上がった。
 その男は、ラフなシャツにジーンズ姿だった。
 黒いニット帽を、目深にかぶっている。
 男を見上げて、美凪が口をあんぐりと開けた。
「……まもる、さん?」
「やあ」
 口数の少ないその男を、美凪も僕も知っていた。
 つい先日、事務所に依頼に来た男――茂木衛だった。



  

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