還らずの森

〜第二章・12〜



 規則正しい機械音に、目を覚ます。
 目の前には、見なれた白っぽい天井。
 僕は、重い体をなんとか反転させて、鳴り続ける時計のボタンを押した。
ようやく訪れた静寂に、僕は少しホッとしてため息をついた。
 日曜の午前九時。
 時計の針は、きれいな直角を描いていた。
 昨日まで、色々あって、なかなか寝つけない夜が続いていた。考えなく
てはならない事が多すぎて。
 考えては止め、考えては止めを繰り返していた。
 ちょっと前に、父が部屋から出て行ったのを気配で感じていた。隣の布団
を見ると、思った通り、父の姿はなかった。
 父の仕事は日曜も祝日もない。
「よっこいしょ」
 まるで年寄りのような掛け声で、僕はなんとか起き上がった。
「だる…」
 少し伸びてきた髪を、軽く撫で付けながら、それでも僕は気力を振り絞っ
て、洗面所まで辿りついた。
「………」
 備え付けの小さな鏡には、ぼんやりとした顔の男が覗いていた。
 後ろ髪の一部が、あらぬ方向を向いて、着ているシャツは、だらしなく胸
が、はだけている。
 水道を大きく開いて、勢いよく出た水に、頭からかぶった。この季節では、
まだ冷たい水が刺激となる。
 顔を上げてタオルで頭から顔まで、力強く拭取ると、鏡の中の男は、先程
よりは、いくらかマシに見えた。
 目が覚めた状態で、よく確認すると、顔の一部分が黒くなっている。
 髭は濃い方ではないが、数日放っておくと、何時の間にか伸びてきてい
る。
 面倒だが、このまま放っておくのも嫌で、洗面所に置きっぱなしの父の髭
剃りを拝借する。
「ひぇー! おやじっぽい!」
「……!」
 素っ頓狂な声がして、前を見ると、鏡に幼馴染の少し赤らんだ顔が映って
いて、僕は慌てて振りかえった。
「お前…美凪! いつの間に…」
「さっき呼んだのに、返事がないからだよ」
 どうやら髭剃りの音で、気付かなかったらしい。
「なに、のんびりやってるんだよー」
「のんびりって…」
「約束の時間、過ぎてるんだよ!」
「え」
 美凪の言葉に、時計を見ると、十時を過ぎていた。
 起きたのは、確か九時だったはず。
 気付かなかったが、あれから、かなりのんびりしていたようだ。
「ごめん。うっかりしてた」
「いいけどさ。早く剃って、着替えてきてよね」
 そう言いながら、目を逸らす美凪に、改めて自分の全身を見て、僕は思わ
ず声をあげそうになった。
 まだ濡れた髪。剃り途中の髭顔。パジャマのシャツは着ているが、なぜか
ズボンははいていなかった。
 覚えていないが、起きてトイレへ行って、無意識にズボンだけ脱いでいた
らしい。
「うわ。お前、あっち行ってろよ!」
「わかりましたよー。下の事務所で、宮沢と待ってるから」
「え? 宮沢さんも…?」
 焦り口調の僕に、美凪は人の悪い笑みを浮かべた。
「さっきまで一緒にいたんだけどねー。秋緒のあらぬ姿にびっくりしちゃった
って感じ?」
「な…」
「じゃ、早くしてよね」
 幼馴染は、それだけ言うと、洗面所から出ていってしまった。
 僕は、髭剃りを置くと、大きく息を吐いた。
 朝から最悪だった。
 そして、今日の事を考えて、更に憂鬱になった。




  

inserted by FC2 system