還らずの森

〜第一章・11〜



「……あれ?」
 本郷刑事は、この状況が飲み込めないでいるらしい。
 頭を、しきりにボリボリとかきながら、周りを見回している。
 そして自分の横で、僕達が見下ろしている事に気が付くと、バツが悪そうに、
ゆっくりと立ち上がった。
「あ。やあ秋緒くん。何か用かい?」
「……ここ、僕の家の事務所だけど……用がなくちゃ来ちゃ駄目かな」
「あ! う、ああそうか! だよなー」
 自分の発言の、矛盾さに気が付いただのだろう。
 本郷刑事は「へへへ」と笑いながら、また頭をかいた。









「この汚ったないオヤジは本郷さん。刑事なんだよ」
 美凪のあまりといえばあまりな紹介に、本郷刑事はコーヒーカップを置くと、美凪
を軽く睨みつけた。
「……美凪ちゃん。俺まだ三十四なんだけど…」
「三十四? 超オヤジじゃん」
「…そっか。女子高生にとっちゃ、やっぱりオヤジか」
「うん。完全にオヤジだね」
 二人の漫才のようなやり取りを見て、宮沢は少し笑顔を見せた。




 事務所に、父の姿はなかった。
 壁に掛けてある、小さなホワイトボードに所員の名前が書いてあり――所員と
いっても、父と東海林さんの二人だけだが――その名前の横に「出」という字が
書かれたマグネットが付いていた。つまり外出中という意味だ。
 大抵は、帰社時間が書いてあるのだが、今日は書かれていない。
 こうなると、一体いつ戻ってくるのか、定かではなかった。
 せっかく、相談にのってもらおうとして、宮沢をここまで連れて来たというのに、
肝心の父も、東海林さんまでもが留守とわかり、僕は何だか申し訳ない気持ちに
なった。
 何度も謝る僕に、宮沢は首を振り、日を改めて相談に来る、と言ってくれた。
 そんな僕達の、状況など知らない本郷刑事は、まるで自分の家であるかのよう
に、湯沸室からコーヒーのおかわりを持って来ると、テーブルに置いてあった砂糖
の袋を、三つも開けてガチャガチャとかき混ぜた。
 僕も、コーヒーには必ず砂糖は入れる―――が。
「…本郷さん。ちょっと入れ過ぎじゃないか?」
「ん? そうかな? でもこのコーヒー用の砂糖って、甘くねェんだもの」
 本郷刑事は、まだ物足りなさそうな顔で、コーヒーをすすった。
 この本郷という人は、大の甘党なのだ。
 甘党の人間に多いように、本郷刑事も酒は全くと言っていいほど飲めない。この
歳になっても、寿司はさび抜きで、週に一度はケーキなどの洋菓子を食べる事を
楽しみに生きているという男だった。
 当然の事ながら、独身だ。
 よく僕に「刑事に女はいらねぇ」などと言うのだが、実際は上司や父の紹介で、
何度もお見合いをしている事は、僕も美凪も知っていた。
 そして、必ず当日に断られているということも―――。
 そんな本郷刑事の横に座っていた美凪は、横目でちらりと見ながら、口を開い
た。
「ねぇ。刑事は何しに来てるの? おじさんに用なわけ?」
「そうだよ」
「なに? 事件?」
 美凪の目が、好奇心でキラリと光る。
 本郷刑事は、少し笑って肩をすくめた。美凪のこういう性格は、すでに知ってい
るからだ。
「事件……でもあるかな? ま、昔の事件だよ」



  

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