還らずの森

〜第三章・13〜



「森…?」
 僕が、そう言いかけたと同時に、本郷刑事は上着を素早く羽織ると、ま
るで風のように去って行った。
「秋緒? どーしたんだよ? 何かあったの?」
「うん…」
 美凪の話を聞いてはいたが、僕は別の事を考えていた。
――森?
――森だって…?
 自分でもよくわからない。
 ただ、「森」というキーワードが頭から離れないのだ。
 どこかで聞いたのだろうか?
「ああ…そうか」
「え?なに?」
「あの事件か」
「…え?」
 僕が独り言を言っているのがわかったのだろう。美凪が眉をひそめて
僕の正面に立ち、じっと睨みつけてきた。
「な、なんだよ」
「何だじゃないよ。そう言いたいのはこっちだよ。一人でなんなんだよ?
ちゃんとあたしにも話してよねー!」
「あ……ごめん」
 僕は素直に謝ってから、森というキーワードに引っかかっていた事を美
凪に話した。
「へェ? それで? その森で何を思い出したのさ」
「それは…」
 そこまで言ってから、僕はハッとして口を閉じた。
 そうだった。
 美凪には、まだ宮沢の父親の事までは話していないのだった。この話
は、宮沢が世話になっている施設の園長から聞いた話なのだ。
 僕が口を閉じると、美凪はソファにどすんと座り込んだ。
「……もーいいよ」
「あ…あのさ」
「もーいい。どーせ秘密なんだろ? あたしには話せないってことだろ?」
「!」
 美凪が怒っていた。
 生まれた時から、ほぼ一緒に過ごしていた。
 幼稚園、小学校、中学までならまだしも、高校まで一緒で、多分僕らは
かなり仲の良い幼馴染なのだと思う。
 今までも、勿論たくさん喧嘩してきた。
 だいたいが、他愛ない事で、そしてだいたいが、お互い次の日には忘
れて今まで通りにしてきたのだ。
 でも。
 こんな風に怒りを露わにしてきた彼女を見るのは、はじめてだった。
「美凪……」
 何とも言えない雰囲気の美凪に、声をかけながら手を差し出す。
 その僕の手を、虫でもはらうように押しのけると、美凪は勢いよく立ち
上がり、事務所のドアを開けて、近所中に響き渡るような足音を立てて、
階段を駆け降りた。
 僕は、慌てて追いかける。
 こんな美凪は、はじめてだ。



「美凪…!」
 階段を降り切ったところで、僕は彼女の腕を掴んだ。
「ごめん…! 黙っててごめん。な……そんなに怒るなよ」
「………」
「美凪…?」
 黙ったままの、美凪の顔を覗き込む。
 そして、その顔を見て、僕は思わず「あ」と声をあげてしまった。
 美凪が泣いていた。
 大きな目から、大粒の涙が溢れて、長いまつ毛を濡らしていた。
 あまりの事に、僕はどうしていいかわからず、掴んでいた腕を離して、美
凪の耳元で「ごめん」と、もう一度謝った。
 女子の涙は苦手だ。
 どうしていいかわからなくなる。
 何を言っていいのか、わからなくなる。
 そして。
 いつも強気な幼馴染の涙は――。
 途方もない罪悪感でいっぱいになった。
「ごめん。ホント……ごめん。………なぁ。何か言ってくれよ…」
 この空気がたまらないのだ。
 いつものように、怒鳴ってくれた方が全然いい。
 美凪は、両手で乱暴に涙を拭うと、僕を振り返った。まだ涙で濡れた瞳
で、僕を睨みつける。
「ごめん」
「秋緒」
「…なんだよ」
「秋緒にとって、あたしって、なに?」




  

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