還らずの森

〜第二章・9〜



 美凪のアパートは、僕の住む事務所とは、そう離れていない。
 僕と美凪は、やや間を空けてゆっくりと歩いていた。
 そういえば――と、僕は横を行く幼馴染をそっと見た。この賑やかな幼馴染
とは、随分長い事一緒にいるのだな、と。




 当時、同じアパートに住んでいた僕の家族と美凪の家族は、最初はお互い
隣人というだけの仲だったが、僕と美凪を同じ頃に出産した妻たちが、それを
通じて仲良くなり、いつのまにか家族ぐるみの付き合いがはじまった。
 美凪より四つ上のお姉さん。
 父より物静かなお父さん。
 そして、僕の母親と親友だった美凪のお母さん。
 母が死んだのは、僕がまだ五つくらいの時だろうか。幼稚園で遊んでいた
時、青い顔をした美凪のお母さんが、迎えに来たのを、そこだけは今もはっき
りと覚えている。
 部屋の周りを取り囲む見知らぬ大人達。
 救急車とパトカーの赤いライトが、やけに目に付いた。
 知った顔が少なかった。
 僕を迎えに来た、おばさんと、一緒に帰って来た美凪。
 そして、制服を着た大人達と何か会話をしている父。
 怖かった。
 なぜか、どうしようもなく。
 無意識に、僕は母親の姿を追い求める。
 幼かった僕は、父親の仕事が「たんてい」というものであることは知ってい
たが、それがどういうものなのかは知らなかった。
「おかあさん」
 黄色いテープが貼られた部屋に入ろうとすると、見知らぬ大人に止められ
てしまった。
 ここは僕の家なのに。
 なんで、知らない人が邪魔をするのだろう。
「おかあさん。おかあさん!」
 人垣をかきわけると、誰かに抱きかかえられた。いつも元気で明るい美凪
のお母さんがそこにいた。だが今は妙に蒼白く、赤いライトが反射していた。
「…ねえ、おかあさんは?」
「秋緒くん…」
「おかあさんは、どこ?」
「あのね…お母さんはね、いまいないのよ」
「どうして? おかいもの? もうかえってくる?」
「……」
 返事はなかった。
 ただ無言で、強く抱きしめられた。







「じゃあ、もうここでいいから」
 その言葉に僕は、はっと我にかえる。
 ちょっと首をかしげた幼馴染が目の前にいた。
「どうしたの?」
「……いや別に。じゃあ」
「うん。明日ね」
 言うが早いが、美凪は踵を返すと、白い壁のアパートに向かって走り出し
た。そうだ。僕も以前はここに住んでいたのだ。二階の奥の部屋だった。今
は誰も住んでいないのだろう。小窓から見える部屋には人の気配が無い。
 美凪が部屋に入るのを見届けてから、僕は歩き出した。
 随分前の事を、思い出していたようだ。
 あの後、父が来て母親は病気で死んだのだと聞かされた。
 病気で死んだのに、どうしてあの時警察が来ていたのか――それを疑問
に感じて父を問い詰めたのは、僕が小学校の高学年になった時だった。
「そういう事もあるんだよ。それにお父さんの知り合いの警官も来ていたしね」
 あの時、父はそう答えてくれたが、なんだか納得できずにいた。
 だが、納得できなくてもそうでなくても、母はもういない。
 辛くなるから――と、死んだ母の亡骸は見せてくれなかった。
(病死ではなくて、事件に巻き込まれた―――?)
 僕は立ち止まる。
 それは、もう何度も考えた。
 だが、その話を当時の事を知る大人達に聞くと、誰もが「病死だった」と言う
のだ。
 何故、今になって、またこんなにも母の死因について気になるのだろうか。
 久しぶりにアパートを見たからだろうか。
 それとも―――。
「…そうだ!」
 僕は、ふっと思いつき、走り出した。



  

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