還らずの森

〜第二章・5〜



「なんだ」
 僕は少し拍子抜けして、ソファに座りなおした。
 父が、そんな昔の事件の資料を欲しがっているという事は、まだ犯人が捕
まっておらず、時効が近い等、そういう事情があるのだと思ったからだ。
 それは本郷刑事も同じだったらしい。
 資料の入った封筒を、ポンと指でつつくと、僕と同じように、ソファに沈むと、
両手を大きく広げて、伸びをした。
「でしょ? 何でこんな事件を追ってるんだ? って思うでしょ」
「……本郷さん、知らないの?」
「ん〜……。まぁ少しだけなら。でも依頼人とかは知らないよ」
 本郷刑事は、多少のことは聞いてるのだと思っていたが、実のところは、そ
うでもないらしい。
 せっかくここまで興味を持ったのに、大した事でもなかったらしい。
 天井に向かって、小さく息を吐くと、僕はゆっくりと立ち上がった。
「あれ? どこか行くの?」
「三階」
「あ、そ」
 この事務所の上―――三階が自宅なのだ。
 ここにいても、何かあるわけでもないようだし、本郷刑事がいるから、留守
番しなくてもよさそうだった。
 部屋に戻って、勉強をしようと考え、僕は扉のノブに手をかけた。
「…わ!」
「あ」
 ノブに手をかけた殆ど同時に、外から開けた人間がいたのだ。
 僕は、その勢いで、少し後ろに尻餅をついた。
 呼び鈴もノックもせずに、いきなり開ける者といえば、事務所の者か美凪く
らいしか考えられなかった。
 僕は美凪かと思い、ドアを開けた人物を、軽く睨んだ。
「すいません」
 ドアを開けたのは、幼馴染ではなかった。
 それは見知らぬ男だった。
 ラフなシャツを着、白いニット帽を目深に被った、二十代前半くらいの若い
男だった。
 男は、申し訳なさそうに頭を下げると、僕に手を差し出した。
 僕は片手を上げて断り、立ち上がった。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい」
 僕がそう答えると、男はホッとしたように、少し笑った。
 笑うと、更に若く見えた。
 実際は、僕と同じ高校生なのかもしれない。
「あの…。うちにご用ですか?」
「え…」
 見覚えのない男だ。初めて来た依頼人なのだろう。父も東海林さんも留守
だったが、ここで待ってもらうことなら、僕にもできる為そう声をかけたのだ。
 だが、男は少し戸惑い気味に、僕をちらちらと見た。
 それは当然かもしれなかった。
 ブレザーを着て学生鞄を抱えた、いかにも高校生の男なのだ。
 僕は慌てて付け加えた。
「あ。僕は所長の遊佐の息子です。今、父…遊佐はいないので」
「そうですか」
 男は安心したようだが、何か考えるように、しばらく黙っていたが、おもむろ
に僕を振り返った。
「あの。ここで待たせてもらってもいいですか?」
「はい。でも…」
 僕は答えつつ、そっとホワイトボードを見た。
 そこには父の帰宅予定時間が書き込まれていた。
「あの、でも帰宅予定が七時頃なんですけど」
「構いません」
 男は即座に答えた。
「では…そこのソファで」
 さっきまで自分が座っていたソファをすすめる。そういえば、まだテーブルに
は飲みかけのコーヒーカップが置いたままだと焦ったが、そこは綺麗に片付
けられていた。
「じゃ。これお父さんに渡しておいて」
 気が付くと、本郷刑事がすぐ横にいて、例の封筒を目の前に差し出して立っ
ていた。
 カップは本郷刑事が片付けてくれたらしい。
「わかりました」
 僕が封筒を受け取ると、本郷刑事は、そのまま何も言わずに事務所をあと
にした。
「今の人。警察ですか?」
「え?」
 突然の言葉に、僕は振り返った。
 男が、ソファに座ったまま、本郷刑事が出て行った扉を軽く睨んでいた。
「……いえ。近所の知り合いですけど」
「ふぅん…」



  

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