還らずの森

〜第二章・3〜



 男の存在は、他のクラスの生徒達も気付いたのだろう。
 窓を開け、指差す者や声をかける者もいた。
 ちょっとした騒ぎになった時、職員室のある方向から、担任の大林先生を
先頭に、三人の教師が男に向かって行くのが見えた。一人は防衛の為か、
竹刀のような長い棒を持っていた。
 男は教師に気付いたようだが、慌てた様子はなかった。
 そして、少し後ろに下がると、軽くステップを踏んで、高い塀に手をかけた。
 男は驚くほど身軽だった。
 塀をよじ登るのではなく、越えたと言った方が正しいだろう。
 あっという間に塀の天辺に登ると、ひらりと学校の外へ出て行った。
「………」
 見ていた全員―――僕も含めて―――が、一瞬の出来事に声を出す事が
できずにいた。
 追いかけて来た教師たちも、その場に立ち尽くしている。
「…すごかったね」
「うん。あの塀、結構高いじゃん?」
「びっくりしたー」
「なーんだ。何もなしかよー」
「つまんねーの」
 事件らしい事件もない平和な学校に、何事かあるかもしれないという、少々
不謹慎な期待をしていた生徒もいたらしい。



 その後、学校側は念の為警察に不審人物がいた事を報告したらしい。
 そして担任は、男を追って外へ出たというが、身軽なその男を確認する事
はできなかったという。
 僕達は、学校側から不審者に注意するよう伝えられた。
 ―――学校に侵入した不審者。
 たまに、ニュースなどで聞く出来事だった。
 小さな子供でもなく、女子でもない僕は、この不審者騒ぎには、そんなに
関心がなかった。
 だが。
 それが、僕とその謎の男のはじめての出会いとなったのだ。














「お帰り」
 事務所のドアを開けると、ソファに座ったままの寛いだ格好で、本郷刑事が
にこやかに手を挙げた。
「……どうも」
「何か食う? あそこに煎餅があったけど」
「…いいよ」
 一体どちらが、この家の者なのだろう。
 刑事は、勝手知ったる様子で、僕と自分の分のコーヒーを淹れて、またどっ
かりとソファに座りなおした。
 僕は鞄を椅子の横に置いて、刑事の淹れてくれたコーヒーをすする。
「……甘いんだけど」
「あれ? 入れ過ぎたかな。ごめんよ」
 自分の分と同量の砂糖を入れたに違いない。
 この本郷刑事という男は、大の甘党なのだ。
 甘いものは嫌いではないが、流石に砂糖の味しかしないようなコーヒーは
これ以上飲めなかった。
 僕はカップを置くと、目の前で寛ぐ本郷刑事を見た。
「……また父さんに用なの?」
「まあね」
「最近、多いね」
「気になる?」
「…別に」
「あっそう。所で例の女の子の捜査、進んでるかい?」
 嫌な方へ話題を振ってきた。本郷刑事は、いつものようにニヤニヤとしなが
ら、身を乗り出してきた。



  

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