還らずの森
〜第二章・2〜
「大丈夫?」 宮沢 由希が目覚めると、ルームメイトの舞が、顔を覗きこんでいた。 「…うん」 どうやら夢を見ていたようだ。 何気なく額に手をやると、冷たい汗で濡れている。 「なんかさ。ちょっとうなされてたからさ」 「ごめんね。もしかして起こしちゃった?」 時計を見ると、まだ起きるには少し早い時間だった。 「ううん〜? だって私、それより早く起きてたもん。朝練あるからさ」 「…そう」 「そう」 宮沢の言葉を反覆すると、舞は足元にあったスポーツバックを手にして、挨 拶もそこそこに、部屋から出て行った。 宮沢は、小さくため息をつくと、もう一度ゆっくりベッドに転がった。 この部屋には、宮沢と舞だけが使っていた。 舞には宮沢と違い、ちゃんと両親がいる。だが、複雑な家庭で、両親がそれ ぞれ別に違う相手がおり、すでに離婚も成立しているのだが、どちらが舞を引 き取るかで、もめているのだ。 どちらも舞を、引き取りたがっているのではない。 どちらも舞を、引き取りたくないのだ。 それで舞は、四つの時から中学の今まで、この施設に預けられている。 舞の両親の顔は、宮沢も見た事がある。 何か届けものをしに来たらしいが、どちらも舞に会おうとはしなかった。 両親のいない自分と、両親がいても自分を必要とされない舞の、どちらが 不幸なのだろう? 中学だった時、そんな事も考えたな、と宮沢は思い返す。 結局答えは見つからなかった。 自分に母親はいない。 そして父親は――――――生きては、いる。生きてはいるが、どこにいるの かわからない。 生きているのに、どうして自分は探そうとは思わないのだろう? 「………」 ゆっくりと上体をおこす。 そうだ。何で探そうと思わないのだろう? でもそれよりも。 父親の顔が、思い出せないのだ。 「…つっ」 こめかみの辺りに、鈍い痛みがはしる。 父親の事を考えると、いつも頭痛がするのだ。施設の先生からも、考えては いけないと注意を受けていた。だからなるべく考えないようにしてきたのだが 何故か最近になって、よく考えるようになった。 「……痛…っ」 どうして頭が痛くなるのだろう? 両手を額にあてて、痛みが引くのをじっと待つ。 もう考えるのはよそう。探したくないのは、きっと会いたくないからなんだ。 「…きっとそうなんだ」 宮沢は、自分に言い聞かせるように呟いた。 痛みはいつのまにか引いていた。 「今朝はどう?」 「うん。大丈夫」 教室に宮沢が入ってくるなり、美凪は飛んでいった。 僕は、横目でそんな二人を観察する。 相変わらず、あまり顔色は良くないが、嘘を言っているようにはみえなかっ た。本当に何もなかったのだろう。 机に鞄を置くと、宮沢は僕の席の前に立ち、ちょこんと頭を下げた。 「遊佐君。昨日は本当にありがとう」 「え…いや。まだ何もしてないし…」 宮沢から頼まれたものの、実のところ何をしたらいいのかわからず、この先 の事は考えていなかったのだ。 「やだー。誰あれ?」 その時、クラスメイトの柴田 梓が窓の外を見ながら声をあげた。 「どうしたの梓?」 「見て美凪! ほらあそこ」 美凪も窓に張り付き、梓の指差す方を見る。 「…なに? 不審者? 先生に言った方がよくない?」 不審者、という言葉に反応して、教室にいた何人かが、同じように窓に張り つく。僕も同じように窓の外を見た。 校庭の隅に、私服の男がひとり立っていた。 ジーンズにシャツのラフな格好で、帽子を目深に被っている。 遠くて顔も年齢までもわからないが、二十代前半というところだろう。そして 何故か、こちらの教室を見ているような気がした。 |