還らずの森

〜第一章・21〜



 そんな春樹を横目で見ながら、本郷は今まで聞いてみたかった事を、それと
なく聞いてみた。
「……あの話、秋緒君には話したんですか?」
「あの話?」
「とぼけないで下さいよ。あの話っつたら、お袋さんの話でしょうが」
「ああ…あれね」
 とぼけていたわけじゃないよ、と前置きしてから、春樹は少し笑って答えた。
「まだ話してないよ」
 それを聞いた本郷は、テーブルに置いてあった灰皿に、煙草をもみ消すと、
軽く春樹を睨んだ。
「……春樹さん。秋緒君だって子供じゃないんだ。あの話をしたって、なんら
問題ないだろう? それに、あの話を聞いたら、きっと秋緒君は、貴方の跡を
継ぐって言うに決まってる!」
 低い声だが、力強い本郷の言葉を、春樹は黙って聞いていた。
 それから何か考えるように、事務所の中をゆっくり見回してから、小さく首を
振った。
「…それはないよ」
「そんな事ないって! 事実、貴方だって秋緒君の才能を認めてるんじゃない
んですか?」
 本郷の言葉に、春樹は吹き出した。
 真面目に話していた本郷は、気を悪くしたのだろう。春樹は、本郷のそんな
視線に気付いて、慌てて謝った。
「ああ、すまない。悪気はないんだ」
「…いいですけどね」
「すまなかった。ただ……そうだね。才能はあったとしても、本人にやる気がな
ければ、どうしようもないだろう?」
「だから、あの話を…!」
 春樹は、また首を振る。
「秋緒は誰に似たのか頑固だからね。それに意地っ張りだ。あの話をすれば、
きっと探偵なんて、絶対やりたくないと言うに決まってるさ」
「…そうかなぁ」
「そうさ」
 半信半疑の本郷に、春樹はきっぱりと答え、そして笑った。









「ごめんね」
 今日で、もう何度聞いたかわからない、宮沢のその言葉に、美凪は「いいか
ら、いいから」と言いながら、彼女の背中を軽く叩いた。
「ここまでで大丈夫?」
「うん。ありがとう」
「でも…」
 バス停の前だった。
 宮沢は、ここからバスに乗って施設へ一人で帰る事になる。つい昨日、マン
ションから鉢植えが落ちて来た話を聞いたばかりの僕は、不安だった。
 だが宮沢は、周りを見ながら僕達を安心させるかのように、笑ってみせた。
「いつもより遅い時間だから、会社帰りの人達が多いの」
 事務所で話していた為、宮沢が帰る、いつもの時間と違い、サラリーマンの
姿が目立つ。バス停にも、何時の間にか長い列ができていた。
「私が降りるところも、サラリーマンが結構降りるの。沢山の人がいれば、きっ
と大丈夫だから」
「そう?」
「うん」
 宮沢が頷いた時、バスが到着した。
「遊佐君。本当にありがとう。あの……どうぞよろしくお願いします」
 恥ずかしそうに、それだけ言うと、宮沢はバスに乗り込んだ。
 よろしく、と言われ僕は少し浮かれていた。
 宮沢を乗せたバスを見送ってから、僕は美凪と元来た道を引き返した。
 だが――――。
 よろしく、と言われたからには、すでに捜査をする気持ちに切り替えなければ
ならなかった事を、僕は後々になって後悔する事になる。



 浮かれた足取りの、僕達の後姿を、男が一人、じっと見つめていた。
 濃い色の帽子を目深に被ったその男は、ゆっくりと振り返り、宮沢の乗った、
バスの行く先の方向へと歩き出した。



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