還らずの森

〜第一章・20〜



「………あの…」
 僕はそれだけ言うと、口を開けたまま動けなくなってしまった。
 全員が、僕を見ていた。
 ちょっと困ったように眉を下げた父。
 期待と興奮で大きな目を輝かせている、美凪。
 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべる、本郷刑事。
 そして、すがるように上目づかいで僕を見上げる、宮沢。
「僕は……」
 ―――無理だ。
 ひとこと、そう言うだけなのに、どういうわけか言葉が出ない。
 宮沢を助けたいと思う。だが、素人の僕には荷が重過ぎると言うことは、去年
の夏休み、僕は嫌というほど思い知らされた。
 あの時の依頼も、父が来るまでの間だけ、僕が助手というかたちで受けたの
だ。父はなかなか来てくれなかったが、事件を解決へと導いた。
 しかし、そこへ辿りつくまでの間、僕は己の非力さに、何度もくじけそうになっ
た。
 だがそれでも逃げ出さなかったのは、ある少女を助けたい一心からだった。
 今回は、それとは違う。
 宮沢を助けたいとは思うが、それはあくまで、クラスメイトを放ってはおけない
というのが本音だった。
 宮沢には気の毒だが、こういう事は、きちんと断った方がいい。
「父さん…」
 意を決して、父の方へ向き直ると、父はなぜか嬉しそうに手をたたいた。
「そうか!」
「…え?」
「引き受けてくれるのか!」
「…え?」
「やったね秋緒! きっと引き受けると思ってたんだ! 良かったね宮沢」
「……ちょっと!」
 僕は慌てた。
 いつ僕が、引き受けるなどと言ったのだろう?
 それなのに、皆まるで申し合せたように、僕が宮沢の件を、引き受けてくれた
と言って、喜んでいるのだ。
「あのさ…! 僕が、いつ」
「遊佐くん」
 頼りなげな声に、僕は、はっとして振り返った。
 いつの間にか宮沢が、僕の横に立ち上がっていた。
「有難う。本当に…ごめんね」
「…あ。えっと…」
 断ろうとした。―――が、無理だった。
 宮沢の目から、大粒の涙がまた溢れ出してきたのだ。
「宮沢…」
「ごめんね。なんか……すごくホッとして…」
 きっと、ここへ来るまでの間も、ずっと不安でいたのだろう。たとえ、それが素
人のクラスメイトでも、身の回りで起きている事件を、解決してくれるという約束
に、安心したのかもしれない。
 美凪に背をさすられて、涙を拭く宮沢を横目で見ながら、相変わらずお人好し
な自分を、こっそりと恨んで、誰にも気付かれないくらいの、小さなため息をつ
いた。







 今日はもう遅いので、話は明日にしよう、という父の提案で、僕と美凪は駅ま
で宮沢を送ることにして、事務所を後にした。
 僕らが出て行くと同時に、本郷刑事は、上着のポケットから、茶封筒を取り出
し、遊佐 春樹に差し出した。
 春樹は、その中から数枚の書類を確認して、満足そうに頷き、大事そうに机
の引出しに、それをしまった。
「助かるよ。本郷君」
「ま、この程度ならね」
 そう言って、本郷は煙草に火を点けた。
 煙を天井に向かって、ひとつ吐くと、春樹に笑いかける。
「……人の悪い親父さんだなぁ」
「おや。人聞きが悪いな」
 いつも通りの、飄々とした態度に、少し笑うと、本郷は煙草を持つ手で、春樹
を指差した。
「秋緒君。完全に断る気でいたのにね。親父さんのわざとらしい、早とちりにま
んまと罠にかかちゃって」
「…罠なんて…。本当に人聞き悪い」
 春樹は、怒った様子もなく、笑って頭をかいた。



  

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