還らずの森

〜第一章・16〜



 次の日から早速、宮沢は羽田と共に登校した。
 前の駅から乗って来た羽田が、宮沢が乗る駅で一旦降りて、二人落合った。
羽田は、ずっと宮沢の手を握り、周りを警戒するように視線をめぐらし、宮沢を
ガードした。
 もしストーカーの嫌がらせがあっても、羽田がいれば、切り抜けられると思っ
ていた宮沢だったが、実際は不安でいっぱいだった。
 久しぶりの朝の駅は、思っていた以上に人が多く、周りにいる人達全員が、
ストーカーに思え、気が休まらなかった。
 だが、その日は何も起こらなかった。
 そして次の日も。
 また次の日も。
 まるで、羽田のガードが効いたのか、はたまた暫らく電車に乗らなかった宮
沢を忘れたのか―――登校して十日。何も起こらなかったのだ。




「ちょっと拍子抜けって感じ」
「ごめんね…」
「あ、違うよ! そういう意味じゃないんだってば」
 すまなそうに謝る宮沢に、羽田は慌てて首と手を同じに振る。
「でもストーカーの奴、諦めたんじゃない?」
「…そうかな」
「そうだよ。だってもう一週間以上、何もなかったし」
「うん……」
 それでも、まだ不安が残っていた宮沢だったが、明るい友の横顔を見て、大
丈夫だという気になっていた。
 きっと諦めたんだろう。
 それとも飽きたのだろうか。
 あんなに毎日のようにあった、恐ろしい出来事が嘘のようだった。そしてそれ
に怯えて施設から出ることさえもできなかった事も。
 いま、自分はこうして毎日学校へ登校している。
 それは紛れもない事実だ。
「もう大丈夫かな?」
 羽田の言葉に、宮沢は頷いた。
 もう大丈夫だ。
 何かあれば、自分には友達がいる。
「大丈夫だよね。私、来週から一人で登校できるよ。ずっと一緒について来て
くれて有難う」
 普段よりも力強い、宮沢の決意に、羽田はにっこりと笑った。





 ―――月曜日。
 先週の決意通り、宮沢は一人で駅に向かった。
 いつも通りの道のり。いつもと変わらない風景。
 ふっと、後ろを振り返る。だが、急がしそうに足を速めるサラリーマンや学生
がいるだけで、怪しい人物は見当たらなかった。
(大丈夫だ)
 宮沢は自分にそう言いきかせ、改札を抜け、ホームに立った。そこもいつもと
変わらない光景だ。波のように押し寄せる人たち。その中で、きゅうきゅうに押
されながら、宮沢は滑りこんできた電車に乗り込んだ。
 駅も電車の中も、相変わらず混んでいたが、宮沢は大きく息を吐いた。
 ここまで、一人だったが何もなかった。
(もう大丈夫)
 明日から、自分一人で電車に乗れる。
 もう怖くはなかった。
 たったこれだけの事だったが、それは宮沢を十分に勇気付けた。そして電車
は、何事もなく学校がある駅へ到着した。
 宮沢をはじめ、たくさんの乗客が一斉に降りる。
 安堵と共に、ホームへ降り、動き出した電車を見送ろうとした、その時だった。
「宮沢っ!!」
 後ろからだろうか。
 聞き覚えのある声―――いや、小さな悲鳴に似た声がして、宮沢は振り返っ
た。
 宮沢は、その一瞬の出来事は、実はあまり覚えていなかった。
 だが振り返った瞬間、何か黒くて堅いものに当たって、後ろへよろけた所から
は、はっきりと覚えていた。
 よろけた、すぐ後ろには既に電車が動き出していた。
(電車にぶつかる!)
 このまま後ろへ倒れたらどうなるか―――勿論、宮沢にはわかっていた。しか
し頭ではわかっていても、既に傾きかけた体を留める事はできなかった。
「きゃあ!」
 自分ではない、誰かの悲鳴と、どん、という鈍い音。そして耳を塞ぎたくなるよ
うな耳障りな金属音。
 宮沢は、その場に座り込む。
 どこも痛くはない。
 痛くはない――――だが、この手についた血はどこを怪我したものだろう。
 恐る恐る周りを見まわすと、すぐ横で誰かが倒れていた。
 茶色い頭の間から、血が溢れるように流れてホームを汚している。
 見覚えのある制服。
 見覚えのある顔―――。
「は、た……羽田さ…ん!」



  

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