還らずの森

〜第一章・13〜



「私……両親がいないんです」
 宮沢は、まず施設にいる理由から話し始めた。
「母は、私が小さい時に出て行ったらしくて、今も行方がわかりません」
 行方がわからない―――。
 いくら小さな時の事でも、出て行った理由くらいは宮沢も知っている筈だった。だ
が言いたくない出来事なのだろう。
 喧嘩して飛び出したか。
 もしくは別の誰かと出て行ったか。
 宮沢が言いたくないのであれば……と、その場にいた誰もが思ったのだろう。
 それについては、誰も追及しなかった。
 だが、次の言葉には僕の横にいた父は首をかしげた。
「父は……わからないんです」
「わからない?」
「はい…」
「それは…やっぱり小さい頃に出て行っちゃったって事なのかな?」
 父が言うと、宮沢は軽く首を振る。
「そうじゃなくて。いつの間にか居なくなってしまったんです」
 僕と、目の前に座っていた美凪は、同時に顔を上げ、思わず目を合わせた。
「それは…出て行ったんじゃないのかい?」
「いいえ。あ……でも、そうなの…かな」
 一度、きっぱりと否定した宮沢だったが、今度は考え込むように、空のコーヒー
カップを見つめている。
「つまり小さい時に、ご両親とも出て行ってしまった?」
「母は、そうなんですけど。でも父は…」
 宮沢の言う事は、どうもはっきりとしない。
 それでも父は、辛抱強く話しかける。
「お父さんは、宮沢さんの前から、急にいなくなっちゃったんだね?」
「そうです」
 宮沢は、父にわかってもらえたのが嬉しいのだろう。さっと顔を上げ、何度も頷い
た。
 だが、僕には良くわからないでいた。
 言い方を少し変えただけで、結局は出て行ってしまった事には変わりないのだか
ら――――。
 しかし父は、にっこりと笑うと「そうか」と、頷いた。
「うん。それで今は施設にいるんだね?」
「はい」
「それで、危険な目に遭ったのは、いつ頃からなの? 小さい時から?」
「去年の秋ぐらいからです。最初はわからなかったんですけど…」
 宮沢は、ようやく本題に入りはじめた。





 宮沢の話しをまとめると、こうだ。
 去年の秋―――つまり七ヶ月ほど前。最初は、駅のホームだったという。以前い
た学校へは、電車で通学していた宮沢は、その日も同じ時刻、同じ車両のホーム
で、電車を待っていた。
 ホームは混んでいた。
 通勤ラッシュほどではないが、それでも多くの利用客が並んでいた。
 しばらくすると、電車が到着し、扉が開いて、まずは降りる客が車両から降り、そ
の後、乗り込もうとした時だった。ふいに、後ろから誰かに押されたのだ。宮沢は、
危うくその場に転びそうになったが、運良く横にいたサラリーマンに支えられて、転
ばずに済んだ。
 もし、あの人の多い場所で転んでいたら―――多分、怪我をしただろう。
 だが、宮沢はこの時は、特に自分の身に、何かが起こっているとは考えもしなか
った。
 ホームなどで、押されるということは、良くあることだったし、その時は怪我もなか
ったから不安に感じなかったのだ。
 ところが。
 その出来事は、その日一日の事ではなかった。
 次の日も、宮沢は同じ目に遭ったのだ。
 同じように、後ろから押され、今度は本当に転んでしまったのだ。だが昨日よりも
人が少なかったからか、転んだ場所が良かったからか、宮沢は腕と膝にすり傷が
できただけで済んだ。
 だが、ここで宮沢も少し怖くなってきた。
 施設の人のすすめもあって、宮沢は今度は違う車両を選んだ。
 今まで乗っていた車両には、乱暴な人がいたのだろう。
 車両を変えれば、大丈夫だと言われたのだ。ところが、その日も宮沢は背中を押
された。気のせいかもしれかいが、昨日よりも強く感じる。
 その後も、また別の車両に変えたり、時間をずらしたりとしたが、誰かに押される
という行為は、毎日のように繰り返された。
 そして、宮沢は段々と電車に乗ることさえも、怖くてできなくなってきた。




  

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