還らずの森

〜第一章・9〜



「えー…? そんな偶然とかじゃないの?」
 美凪が努めて明るく言ったが、宮沢は黙ったまま首を振った。
「ちょっと出よう」
「え?」
 僕の突然の提案に、美凪も宮沢も顔を上げた。
 教室に残っていた数人が、僕達のただならない雰囲気に気付いたらしく、ひそ
ひそと囁き合っている。別に宮沢を囲んで苛めているわけでもないが、周りから
は、そうも取れるらしい。囁き声の中に、そんな言葉が見え隠れして、僕は美凪
と宮沢を連れて、教室を抜け出した。
 後から、何か言われるかもしれないが、何だか今この場で、誰か部外者に割り
込んでほしくなかったのだ。
 教室を出たものの、他に入れる部屋といえば、部室しか思い浮かばなかったが
去年、早々に陸上部を辞めた身としては、入りにくい。
 結局、それ以外に思い浮かばず、僕達は屋上へ行く事にした。
「わあ。気持ちいー」
 屋上の扉を開けた途端、美凪が両手を広げて、一番に飛び出した。
 普段は数人がいる、この屋上も、都合がいい事に誰もいないようだった。
 放課後だったが、まだ陽は高い。心地よい春の風が、目の前を吹き抜けていく
のがわかる。
 僕は静かに扉を閉めて、屋上のフェンスに寄りかかった。美凪は僕の足元に、
ちょこんと座る。宮沢も少し考えていたが、美凪の横に、やはり腰掛けた。
 足元に座る、二人の女子に同時に見つめられ、僕は困って頭をかいた。
 実のところ、ここまで連れ出したものの、何か話したい事があったわけではない
のだった。何となく、あそこから出たかっただけなのだ。
 僕の心情を、知ってか知らずか美凪から宮沢に話しかけた。
「あのさ。さっきの事だけどさ。偶然の事故だし、宮沢のせいじゃないでしょ?」
「…でも」
「あの時だってさ、宮沢は、あたしと一緒に下にいたじゃん? 宮沢が落したわけ
じゃないしさ」
「それは……そうなんだけど…」
「ね? あたしも怪我してないしさ。もういいから謝らないでよ」
「………」
「宮沢?」
 そのまま黙ってしまった宮沢に、僕も戸惑った。
 美凪も同じなのだろう。また救いを求めるような目で、僕を見上げる。
「宮沢」
 ここへ来て、はじめて発した僕の声に反応したのか、宮沢がハッとしたように顔
を上げた。
「…お前さ。何に怯えてるんだ?」
「………」
 今までの宮沢を見ていて、気になっていた事だった。
 誰とも打ち解けず。
 常に一人で行動し、控えめに。目立たず、まるで誰かに見つかるのを恐れてい
るかのように―――。
「さっきも、まるで何か物が落ちてくるのは、今までにも何度かあったような口ぶ
りだったじゃないか」
 そう言うと、宮沢は小さく頷く。
「うん…」
「なあ。もしかして……ストーカーか?」
 父親の事務所にも、過去に何度かストーカーの被害の依頼があったのを思い
出したのだ。
 執拗なつきまとい。無言電話。いやがらせの数々。
 宮沢のように、物を落されたり、投げ付けられたりという被害もあった。
 今までも、同じようなめにあったというのであれば、ストーカーによるものだと僕
は考えたのだ。
「そうなの? ストーカーにつきまとわれてるの?」
 美凪が心配そうに、宮沢の顔を覗き込む。
「ね。いい機会だから秋緒に相談してみたら? 秋緒のお父さんってね、超有名
な名探偵なんだよ」
「超有名は余計だ」
「…え?」
 驚いたように、宮沢が顔を上げる。
「探偵…?」
「そうそう! かっこいいんだよー。超難問も即解決しちゃうんだから。あ、この人
なんだけどね…」
 まるで自分の身内でも自慢するかのように、美凪がいそいそと携帯を取り出し、
宮沢に突き出した。美凪の携帯の待ち受け画面は、なんと僕の父の顔写真なの
だ。
 一体どこの世に、他人のオヤジの顔写真を待ち受けにしている、女子高校生が
いるのだろうか。
「だからさ。秋緒に相談してみなよ」
「…遊佐君も、探偵なの?」
「秋緒は未来の探偵かな。で、あたしは助手見習い」
「嘘だからな。………あ、いや親が探偵なのは本当だけど」
 僕は、父の跡は継がない、と何度も言っているのだが、どうにもこの幼馴染には
通じていないようだった。
「まあ、そういう訳だからさ。ストーカーに困っているなら、一度相談だけでもして
みるか?」
「ねえ遊佐君…」
 僕の話には答えず、宮沢は反対に僕に問いかけてきた。
「なんだよ」
「………ストーカーって…その相手を、殺そうとしたりするものなの?」
「殺すって…」
「なに? 殺されかけたの?」
 美凪が小さく叫ぶと、宮沢の目から、大粒の涙がこぼれ出した。





  

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