還らずの森

〜第一章・8〜



 マンションなどのベランダから、物が落ちて来るというのは、さして珍しい事では
なかった。
 実際、この事務所にも、似たような事件があり、話を持ち込まれた事がある。
 東海林さんも、それを思い出したのだろう。その事を例に、こう言った。
「確かに、秋緒君の言う通りで、偶然かもね。マンションとかビルとかから、物が
落ちて来て、怪我をしたというのは、そんなに珍しくもないんだよ。秋緒君も覚え
ているかな? 前にもそうやって、落ちてきた物に当たって、怪我をして…ってい
う事件があってね。まぁ、美凪ちゃんの場合は怪我がないんだから、良かったよ」
「でも…」
 美凪は不満そうだ。
 どうあっても、事件にしたいらしい――――その時、僕はそう考えていた。
「じゃあさ。三歩譲って、これが偶然だとしてもだよ…」
「百歩だよ」
「………だからさ、偶然だとしてもさ、じゃあなんで宮沢は、あんなに警戒してたん
だよ? 道の真ん中歩いたりしてさ」
「…う〜ん」
 東海林さんは、小さく頷き、腕を組んだ。
「変でしょ? でさ。あたしの推理なんだけどさ。宮沢って誰かに狙われてるんだ
よ!」
 事件でもないのに、推理ときたもんだ。
 僕は呆れて、美凪に聞こえるよう、わざと大きなため息をついた。
「お前の推理はともかく。僕が思うのは多分、宮沢は前にもこういう上から物が落
ちて来て、怖い思いをした事があるんだと思う。それがトラウマとなって、端を歩く
のが怖いんじゃないのか?」
「なるほど…」
「そっか…」
 僕の考えに、二人とも納得したように、今度は大きく頷いた。
「だから事件でも何でもないよ」
「うん…」
 美凪はがっかりしたように、肩を落した。









「この間は、ごめんね」
 そう言って、ちょこんと頭を下げた美凪に、宮沢はゆっくりと首を振った。
「こっちこそ…ごめんね」
 月曜の放課後だった。
 無理矢理ついて行った事を、宮沢に謝りたい、と美凪が言ったのは、帰り間際
だった。
 一人では行きづらい、と僕まで付き合わせて、宮沢が帰るところを急いで引き
止めたのだ。
 教室の中は、まばらだった。
 数人残ってはいたが、僕らには興味がないのだろう。誰もこちらを見てはいな
いようだった。
「あたしが無理矢理ついて行ったから、嫌な思いさせちゃったみたい」
「そんな……」
 宮沢は、更に何か言おうとしたらしいが、上手く言葉にできなかったようだ。
 口だけを、ぱくぱくさせていたが、声にはなっていなかった。
「あの時、ちゃんと聞かなかったけど…怪我なかった?」
 こくん、と頷く。
 そして、心配そうに、美凪を見た。
 その視線に、宮沢が何を聞きたいのか察知したのだろう。美凪は両腕を小さく
広げて笑った。
「大丈夫だよー。ぜんっぜん怪我しなかった」
「…よかった」
「いいよ。それに宮沢が悪いわけじゃないし」
「ううん。全部、私が悪いの…」
「え、だって」
 割れた植木鉢は、上から落ちてきたものだ。
 美凪と一緒に、下にいた宮沢のせいでは勿論ないはずだ。
「ごめんなさい。私のせいで…」
「ちょっとー。謝られると困るよー」
 今にも泣き出しそうな宮沢を前に、美凪は困ったように、後ろにいた僕を振り
返った。
 僕は、無言でこめかみの辺りをかく。
 助けを求められても、僕だってどうしたらいいのかわからない。
 本人が自分のせいだと、謝っているのなら、そういう事にしておけばいい。そう
言おうとしたが、それより先に宮沢が口を開いた。
「……もう、私に係わらない方がいいよ。私に係わる人は、いつも危ないめに遭
うんだから」
 僕と美凪は、顔を見合わせた。



  

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