還らずの森

〜第一章・5〜



「東海林さん、これから仕事なんだ」
「いえ、仕事帰りです」
 簡潔に言うと、東海林さんは事務所の扉を閉め、メットを取った。
「報告書だけ書きに戻っただけ」
「浮気調査とか〜?」
 美凪が、つまらなそうに聞くと、東海林さんは少しだけ笑った。
「さあ? 秘密厳守ですから」



 東海林 百合子。
 この事務所の、たった一人の所員の名前だ。
 短く刈り上げた茶色い髪。鼻を中心に広がるシミ。そのシミを全く隠そうという気
はないらしく、僕はこの人が化粧をして来たのを、見た事がない。
 今日も、有名スポーツメーカーのロゴの入ったトレーナーに、薄汚れたジーンズ、
履き慣れた、というより履き潰したというようなスニーカーという井出達だ。
 唯一の趣味は、プロレス観戦。
 大きな黒いバイクで、ここから少し離れたアパートから通勤している。
 一人暮しらしく、そこへは寝に帰っているだけらしい。
 取っ付きにくいというわけではないが、さっぱりというか、サバサバし過ぎている
性格だ。勿論その名の通り、正真正銘の女性なのだが。
 多分、男の僕より、もっと男らしい人かもしれない。





「転校生が変?」
 報告書をまとめ終えた東海林さんは、美凪のいれたコーヒーを、持参のカップで
一口飲んでから、首をかしげた。
「変な奴なの?」
「じゃなくって〜…。ていうか、あたし達もどうしていいのか、わかんないんだよね」
「はぁ」
 東海林さんは、困ったように僕の顔を見た。
 当然だろう。
 美凪の説明では、何がなんだかわからない。どうしていいのか、わからないのは
こっちの方だ。
 僕は、持っていたカップを置いて、小さくため息をついた。
「お前はさ、ちょっと考え過ぎなんだと思う」
「なんでだよー」
「東海林さん。実は新学期に入った時、うちのクラスに転校生が来たんだ」
 東海林さんは、無言で頷いた。
「女子なんだけど、事情があって今は施設にいるらしいんだ。で、そこから通って
いるんだ。……だよな? 美凪」
 今度は、美凪が頷いた。
「まぁ……変な奴だとは思うけど……」
 僕は、つい昨日の事を、簡単に説明した。






 転校生の宮沢は、それから毎日学校へは来ていたが、誰とも打ち解けようとは
しなかった。
 最初は誰もが、転校したばかりで緊張してるのだろう。施設にいるという負い目
もあるのだろ。そう感じていた。
 美凪もそう感じていたらしい。
 事あるごとに、宮沢に話しかけ、少しでも打ち解けようとしていた。
 だが、一週間経っても、それ以上経っても、宮沢の態度は変わらなかった。
 元来の性格なのか、それとも他に理由があるのかわからないが、宮沢は誰とも
話さず、とけ込もうともせず、誘われても断り、一人でいる事が多くなった。
 はじめは、美凪同様に、宮沢と仲良くしようと声をかけていた者もいたが、当の
本人の態度が態度なだけに、段々と近寄る者は減り、ついには誰も近寄らなくな
ってしまった。
「あたしもさ。たまに話しかけるんだけど、無視されちゃうしさ…」
 そう、美凪がこぼしていたのは、一昨日のことだ。
 誰とでも、打ち解けようとする美凪さえも、この転校生にはお手上げらしい。
 だが宮沢は、まるで一人になるのを望んでいたかのようだった。
 誰も近寄らない事を、安心したかのような様子なのだ。
 そして、クラスの誰もが、転校生などいなかったかのような雰囲気になりかけた
頃、その事件は起こった。



  

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