還らずの森

〜第一章・3〜



 ―――大人しそうだ。

 それが、最初に彼女を見た時の、僕の印象だった。
 いや、きっと僕だけではないだろう。彼女を見た十人が十人とも同じ印象を持つに
違いなかった。
 今時、珍しいくらいの真っ黒な髪の間から、小さな目が怯えたようにきょろきょろと
忙しなく動いている。
 前に持ってきている両手を、ぎゅっと握り締め、肩からつま先まで、かちこちになっ
ているのが、一番後ろの席の僕からでも、はっきりとわかった。
 梓を見ると、もうすでに興味をなくしているのだろう。
 つまらなそうに、欠伸をしていた。
 入って来てから、まだ一言も発していない転校生に、自己紹介をと催促した先生だ
ったが、この状態では無理だと判断したのだろう。ごほん、とひとつ咳ばらいをすると
、相変わらずの大きな文字で、黒板に何かを書き出した。

「宮沢 由希」

 みやざわゆき。
 反覆していると、先生は転校生の宮沢の背中を、いきなり強くたたく。
 突然のことで、宮沢は少し前によろけ、バランスを崩す。
 それを見たクラスの何人かが、プッと吹き出し、教室のあちこちからクスクスと笑う
声が響いた。
 宮沢といえば、可哀想なくらい真っ赤になって、ますます下を向いてしまう。
「あー、静かに!」
 先生のその一言で、教室は静まりかえる。
「宮沢由希だ。今日からこのクラスに入ることになった。宮沢、何か一言」
「……あの」
 宮沢は、横にいる先生を見て、それからゆっくりと教室の僕らを見まわすと、に小
さな、消え入りそうな声で、本当に一言だけ挨拶した。
「はじめまして。宮沢です」









「ね、どこから転校してきたの?」
「家はどこ?」
「何で通ってるの? 電車? バス?」
 ホームルームが終わった途端、宮沢の机の周りには、数人の女子がぐるりと取り
囲んだ。
 当然のように、美凪もその中のひとりだ。
 一番前の列を陣取り、宮沢の顔がよく見える場所で、口数少ない、この新しいクラ
スメイトから、些細な事でも聞き出そうとしているようだ。
 宮沢といえば、一度に色々質問されて、何をどこから話していいのか迷っているよ
うだった。
「あ。ごめんねー。一度に聞かれたら困るよね?」
 宮沢の気持ちを察したのか、美凪がそう言って笑った。
「そうだね。じゃあ一人づつ〜」
「じゃあ家はどの辺?」
 美凪の提案に、その場にいた全員が頷き、それに従ってひとりひとり質問を開始
する。
「……あの、S町…なの」
「へ〜! じゃあ結構近くだね」
「じゃあさ、前の学校は? 遠いの?」
「ううん。同じ都内だから…」
 宮沢は、相変わらずの小さな声だったが、それでもひとりひとりの質問に、はっきり
と答えている。
 この休み時間の後は、新しい教科書などを貰うだけで、今日は授業などはない。
 僕は、教室の中央で繰り広げられる、転校生を囲む女子達を、ぼんやりと眺めて
いた。
「都内? じゃあ引越し?」
 そう思うのが普通だろう。
 何気ない、そんな質問だったが、宮沢は小さく首を振った。
「あれ、違う? じゃあ転勤か〜」
「転勤って、別の地域に行くんじゃなかったっけ?」
「えー? そんな事ないでしょ?」
「宮沢さん、お父さんの転勤?」
 宮沢は、やはり小さく首を振ると、不思議そうな顔のクラスメイトに向かって、少し
だけ笑顔で答えた。
「……ごめんね。引越し……っていうのかもしれない。前にいた施設が閉鎖されちゃ
ったから、こっちにある別の施設に移されたの…」

―――施設。

 その言葉に、全員が口を噤んだ。



  

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