還らずの森

〜第一章・2〜



 僕は遊佐 秋緒という。
 僕自身は、ごく普通の高校生だ。
 父は自営業―――と言ったが、その内容は探偵である。その世界では、それなりに
名の知れた存在らしいが、僕にはのんびりとした親父にしか見えない。
 古いビルの二階を事務所、三階を自宅としていて、そこで父と二人で暮している。
 母親は、小さい時に死んでしまって、いない。
 だが、母とは親友だったという、美凪の母親が、自分の娘と同様に僕の面倒も見て
くれていたのだ。
 だから、僕は今でも美凪の母親には、頭が上がらない。





「あんた達ができてんのは公認なんだから」
 梓はまだ、からかうように僕と美凪を交互に見ている。
 柴田 梓は、去年も同じクラスだった。
 今年から、女子テニス部の副部長に抜擢されたらしい。美凪とは仲が良く、よく二人
で話している姿を見かける。
 美凪以上に日に焼けた肌に、金に近い茶髪の梓は、ぎりぎりまで短くしたスカートの
裾を―――人の目が気になるのだろうか―――引っ張りながら、話題を変えた。
「ね。それよりさ。うちに転校生が来るらしいんだって」
「…へえ?」
 美凪の目が、好奇心に溢れ、きらりと光る。
「男? 女?」
「まだそこまでは……私だって、さっき職員室の前、通った時に知ったんだもん」
「そうかー…」
「私は絶対、男がいいんだけどさ!」
 梓は腕を組み、にんまりと笑う。
「だってさ。彼氏できるかもしれないチャンスじゃん? 悪いけど、このクラスにも期待
できそうにないしさ……あ。美凪は旦那様がいるから関係なかったか」
「……」
 梓のからかいは、いつもの事だ。
 挨拶と同じ位、聞いている。
 流石の美凪も、これにはスルーだ。
「背が高くってサ。金持ちの彼氏欲しー…」
「なにそれ〜」
 美凪が軽く吹き出すと、梓はそれをじろりと睨んだ。
「ほっといてよ。期待して何が悪いんだよ」
 この「彼氏が欲しい」発言も、ほとんど口癖みたいなものだ。
 梓自身、そんなにルックスも悪くはないし、友人も多くいるのだが―――何しろ梓は
そそっかしいのだ。全てに対して、雑でいい加減なのだ。
 それでよく、テニス部の副部長に選ばれたと思うのだが、多分人望だけはあるのだ
ろう。
「だいたい、その転校生が、うちのクラスに入るとは限らないだろう?」
 僕が、そう横から口を挟むと、梓はいよいよ残念そうに眉を寄せた。
「…だよねー」
「いいじゃん。クラス違ったって」
「うん…」
 美凪が慰めたが、それは無駄に終わった。
 教室の扉が、ガラガラと大きな音を立てて開いたかと思うと、小太りで中年の男が、
大股で入って来た。
 去年も担任だった、大林先生だった。
 立っていた美凪に梓、その他の生徒も、慌てて席につく。
 大林先生は、しんとなった教室を、無言でじろりと睨み回す。
 この先生が、とても怖い事は、この学校の生徒なら誰でも知っている。だが普段は
優しく、担当の古文の授業が楽しく、わかり易い事も知られていた。だから、当然の
事ながら、人気のある先生だ。お世辞にもハンサムとは言えない顔で、妻子もいると
いうのに、毎年どの先生よりも、バレンタインにチョコを多く貰っている事は、僕でさえ
知っていた。
 そんな先生が、今年も担任なのは、僕にとってはラッキーだった。




「さて」
 先生は、小さく咳払いをすると、まずこう切り出した。
「挨拶や紹介の前に、まずは転校生から紹介しようと思う」
 噂の転校生は、なんと僕達のクラスに入るらしい。
 僕の斜め前に座っている、梓の顔が、嬉しそうにほころんだ―――だがそれも一瞬
だった。
 先生の合図で、扉が静かに開く。
 その転校生は俯き加減で、扉のかげから、少しだけ顔を出してから、何故か会釈し、
恥ずかしそうに、教室へ入って来た。
 転校生は、男子生徒ではなかった。


  

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